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楼主: 狂~劇情狂

[未完成] 三國志 Campaign for Age of Empires(帝國時代 I 四十關長篇戰役)漢化

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目测今年年底  发表于 2015-5-5 07:37
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 楼主| 发表于 2015-5-5 11:59:20 | 显示全部楼层
官渡―中原の覇者への道
官渡 中原霸者之道

歴史的背景:

 『中原を制する者、天地を制す』...この長く打ち続く乱世に、己が大望を成遂げようとする群雄英傑にとって、黄河中流域に拡がる中原―― この地の覇者として君臨することこそ、中国大陸を統一するという遠大な事業の要であった。それはかつて『乱世の奸雄 治世の能臣』と世人に評され、その非凡な才覚と有能な家臣団を率い、今や漢帝国丞相の地位をも喰らわんとする、曹操孟徳にとっても例外ではなかった。
  「制中原者制天地」……在這個漫長持續的亂世,對於想成遂一己大望的群雄英傑來說,擴展在黃河中游流域的中原――並且成為君臨這一片土地的霸者,是統一中國大陸這項遠大事業的基要。那對被世人評為「亂世之奸雄、治世之能臣」、率領著具備非凡才幹的有能家臣團、現今正坐擁漢帝國丞相的地位的曹操孟德也不例外。

 彼はこれまで、幾多の戦場にまみえては、数々の凱歌を奏し、河南一帯をほぼ手中に治めてきた。しかし、これはいずれ訪れるであろう、河北の袁紹との『中原の覇者』を賭けた、興亡の一戦を迎えるが故である。河北の袁紹―― 彼は前年、永きに渡り中国北部の支配権を争ってきた公孫サンを、幽州に葬り河北一円を統一、当代きっての軍事力を所有する北方の雄であった。
  他到目前為止,經過幾多戰場、數次響奏凱歌,並將河南一帶收為手中所治。不過,此一刻終於來訪了,緣故是河北的袁紹要與他一賭「中原之霸者」誰屬而迎來興亡的一戰。河北的袁紹――他在前年葬送了與他長久爭持中國北部支配權的公孫瓚而統一了河北一區,成為是當代頭號軍事力所有者的北方之雄。

 国内を整え終えた袁紹は建安五年二月、いよいよ曹操一派を一掃すべく、黄河北岸の黎陽に本営を構え、第一陣顔艮、続いて第二陣文醜に黄河を渡らせ、曹軍最前線の城や砦を攻撃させた。しかしこれら緒戦において、指揮官の顔艮・文醜が相次いで曹軍に討取られ、やむなく一時撤退をし、先発隊による渡河作戦を諦める事となった。
  完成整頓國內的袁紹在建安五年二月,為了一掃曹操一派,在黃河北岸的黎陽佈下本營,第一陣顏良、接續的第二陣文醜渡過黃河,向曹軍最前線的城寨作出了攻擊。不過在這場緒戰裡,指揮官顏良、文醜相次被曹軍討取,迫不得已之下祇能一時撤退,事情結果就是放棄依賴先發隊的渡河作戰。

 そしてその年の九月、袁紹をはじめ、幕僚らが率いる総勢七十万の本軍で、一挙に黄河を押し渡り、曹操が本営を構える官渡城を幾重にも包囲、再び曹軍殲滅の策に打って出た。この動きに対して曹操は、精鋭七万をもって官渡に籠城、ここに両軍、虚実を謀る睨い合いがじりじりと続く―― いわゆる、『官渡の戦い』の始りである。
  然後在那年的九月,袁紹與幕僚統率總勢七十萬本軍一舉向著黃河推進,對曹操佈置本營的官渡城實施了幾重包圍,再打算作出殲滅曹軍的計策。面對著這一舉動的曹操,帶著精銳七萬過去官渡守城,兩軍在此持續互睨虛實、謀算對方――就是這樣,「官渡之戰」要開始了。

官渡―中原の覇者への道 建安五年(西暦200年) 難易度:★★★ 所要時間:9分以上

シナリオの説明:
劇本說明:

 敵は我が陣営の前に土を盛り、その上方に高櫓を建て、櫓上より弓矢を雷雨の如く浴びせ掛け、味方を散々に悩ませていたが、この度考案した新兵器、『発石車』により応戦、大軍の袁紹軍相手に互角以上の戦い振りを展開している。
  敵人在我方陣營之前盛載了泥土,並且在其上方建造高櫓。雖然從櫓上有如雷雨沐浴而下的弓矢,讓盟友相當地苦惱,但是這次我們使用考察出來的新兵器「發石車」去應戰,以袁紹軍的大軍為對手展開了勢均力敵以上的戰鬥。

 しかし、ここで大きな問題が生じてきた。袁紹軍と対峙してはや数ヶ月、我が軍の兵糧が乏しくなりつつあった。寡兵にまして兵糧不足とあっては、然しもの曹操も頭を抱え込まずにはおれず、許昌の都を守備していた荀彧に、官渡城放棄もやむなしと相談するほどであった。そんな折である―― 一人の投降者が戦局を大きく変えようとしていた。その男の名は許攸、字を子遠といい、袁紹麾下にて参謀を務める智者で、曹操の旧知であった。
  不過,這裡卻發生了一個大的問題。與袁紹軍對峙了數個月,我軍的兵糧已經變得很匱乏。寡兵加上兵糧不足,曹操自然無法埋首不理,他與守備許昌都城的荀彧商談著放棄官渡城。就在這個節骨眼上――一位投降者讓戰局有了很大的變化。那男人的姓名就是許攸,其字子遠,他是在袁紹麾下務職參謀的智者,而且是曹操的舊知。

 許攸は曹操を破るための秘策を袁紹に進言したが採用されず、逆に曹操と旧友である事から、敵方との内通を疑われた。これに憤りを感じた許攸は、袁紹に見切りをつけ、曹操の軍門に降って来たのである。
  許攸向袁紹進言擊破曹操的秘策不被採用,相反還因自己與曹操是舊友一事,而遭受懷疑與敵方內通。對此感到憤憤不平的許攸看穿了袁紹,並前來曹操的軍門投降。

 今、子遠の情報によれば、袁紹軍七十万の兵糧の大半は、北方の烏巣という場所に貯えてあり、烏巣の守将淳于瓊は酒乱で警備を怠っている、すなわち烏巣を焼き払うことができれば、兵糧を失った袁紹軍は合戦どころではなくなり、慌てて郷土へ引き返すという事である。
  現今,據子遠的情報,袁紹軍七十萬的兵糧大半都貯存在北方名為烏巢的場所,而烏巢的守將淳于瓊因為酒亂怠忽警備。也就是說祇要能夠燒燬烏巢,失去兵糧的袁紹軍便不能再進行合戰,並且會慌張地引兵撤返鄉土。

目的:

- 官渡城より密かに奇襲部隊を出陣させ、北方に位置する烏巣の穀倉群(計12棟)を破壊せよ。
- 讓奇襲部隊秘密地從官渡城出陣,破壞北方位置的烏巢穀倉群(計 12 棟)。
- 奇襲部隊の全滅、または官渡城の兵糧が尽きると敗北となる。(制限時間5000年)
- 奇襲部隊全滅或官渡城兵糧耗盡就會敗北(限制時間 5000 年)。

ヒント:
提示:

- 北方へ至ったならば、烏巣の村里がある。これを占拠し、敵の追手を食いとめよ。
- 及至北方有烏巢的村里,佔據這裡阻止敵方追兵。
- 烏巣倉庫群に進入するには、間道を作らなければならない。二本の青旗を目指せ。
- 要進入烏巢倉庫群,不得不製作出一條間道,以兩支藍色旗幟為目標。
- 烏巣守備隊は完全に油断している。その虚をつくべし。
- 烏巢守備隊完全大意了,就乘虛而入吧。

結果:

 曹操の奇襲部隊は、夜陰に紛れて烏巣穀倉群に火を放ち、河北兵七十万の糧を一挙に焼き尽くした。その頃袁紹本営では、北の夜空を赤赤と染める炎を視とめて、『烏巣に変事あり!!』と救援部隊を烏巣へ奔らせるとともに、もう一手には曹操の本営、官渡を襲わせたが、時すでに遅く、曹操があらかじめ潜ませておいた伏兵の襲撃に遭い、散々に打破られた上、張コウ・高覧ら名立たる将軍が、自ら率いる手勢もろとも曹操に降伏する事態を招いた。大量の兵糧物資を失い、攻守逆転の憂目に晒された袁紹軍は、四散して敗走したのであった。
  曹操的奇襲部隊趁夜陰紛紛在烏巢穀倉群放火,一舉燒盡了河北兵七十萬的糧食。在此頃刻的袁紹軍本營,所視就是將北方夜空染得赤赤一色的烈燄,他們高呼著「烏巢生變!!」派救援部隊直奔烏巢,另一手則是襲擊曹操的本營官渡,可惜為時已遲,他們遭到曹操預先潛藏的伏兵的襲擊,而在狠狠地被打破之上,還招致了張郃、高覽等立有名聲的將軍都率領自己的手下向曹操降伏的事態。失去大量兵糧物資、落入攻守逆轉苦境的袁紹軍,結果當然四散敗走。

 この大勝利の後、曹操の勢力はますます増大し、中原の覇者と呼ぶに相応しきものへと成長するのである。
  這一場大勝利之後,曹操的勢力亦日益增大,並成長為與被呼作中原之霸者相應的存在。

結果:

 曹操の奇襲攻撃を察知していた淳于瓊は、至る所に伏兵を配置し、曹軍の来襲を防いだ。その後、袁紹軍本体の官渡城総攻撃がはじまり、兵糧の尽きた曹操軍は撤退を余儀なくされ、許昌へ引き返すことになった。
  察知曹操奇襲攻擊的淳于瓊,在其所至的場所配置了伏兵以防曹軍來襲。其後,在袁紹軍本體的官渡城總攻擊下,耗盡兵糧的曹操軍不得已撤退了,並且引兵返回許昌。

 この決戦の数日後、袁紹は曹操の息の根を止めるため、許昌の都へと進軍を開始したのである。
  這場決戰的數日後,袁紹為將曹操斬草除根,開始向許昌都城進軍了。
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 楼主| 发表于 2015-5-5 15:48:38 | 显示全部楼层
軍師徐庶元直
軍師徐庶元直

歴史的背景:
歷史背景:

 汝南の地に在った劉備玄徳は、着々と兵を増やし、数万の精鋭を擁するまでになっていた。そして、曹操が河北へ進軍し、許都が空になった頃合いを衝き、これを攻める計画を立てた。しかし、麾下に優れた軍師がいない玄徳は、急襲すべき時機を見誤り、その時すでに曹操軍は、玄徳の軍を待ち構えていたのである。こうなると、戦況を思案するまでもなく、玄徳軍の大敗であった。玄徳は、汝南を失い、またも流浪の身となってしまった。そして、建安六年の秋九月、玄徳の行きついた先は、劉表の在る荊州であった。
  身在汝南之地的劉備玄德正逐步增兵,並已坐擁數萬精銳。然後,衝著曹操向河北進軍、許都空虛的合適頃刻,他訂立了進攻的計劃。不過,麾下沒優秀軍師的玄德錯過了急襲的時機,那時的曹操軍已經等待著玄德的軍隊。這樣戰況毋須經過任何思案,就是玄德軍的大敗。玄德失去汝南,再次成為流浪之身。接著,建安六年的秋九月,玄德前行的目的地,是劉表所在的荊州。

 そして時は流れた―― その間に、戦乱が止むことはなく、各地で勢力を争う戦いが繰り広げられた。なかでも曹操の勢いは、とどまる事を知らず、官渡にて袁紹を討ち滅した後、冀州、青州、并州を平定し、確固たる地位を築き上げていた。そして、次に曹操が狙うのは、南方であった。南方を平定する―― それは、国全体を支配することと同義であった。
  然後時光流逝――期間戰亂不止,各地勢力繼續展開爭戰。當中曹操可謂勢不可擋,在官渡討滅袁紹後,他又平定冀州、青州、并州,築成了確固的地位。接著,為曹操狙伺的次一目標就是南方。平定南方的話――那樣,便與支配了國家全體是同義的了。

 やがて曹操は、荊州・襄陽を狙いに定め、曹仁を総大将とし、李典を補佐とした軍を樊城に進軍させた。しかし、劉表を追い落とすに、障害となりうる人物がいた。新野に在った劉備玄徳である。許都軍は、まずは新野へと兵を進めた。
  不久,曹操狙定荊州襄陽,派出以曹仁為總大將、李典為補佐的軍隊向著樊城進軍。不過,在追逐擊落劉表的路上,還有一位人物構成障害。他就是身在新野的劉備玄德。許都軍,首先向新野進發了。

軍師徐庶元直 建安一二年(西暦207年) 難易度:★★★★★ 所要時間:8分以上 

シナリオの説明:
劇本說明:

 劉備玄徳は、これまでの幾多の不運が、我が許にすぐれた軍師を持たぬことによって訪れているとの考えがあった。が、今ここに、一人の遺賢を得たのである。その人物は、単福と名乗った――
  劉備玄德至今已經遭遇了幾多的不運,而他考慮的是在我手下並未持有優秀軍師才會導致它們造訪。現今,他在這裡終於得到一位遺賢,那個人物報上的名號是單福――

 荊州の劉表に身を寄せていた玄徳は、新野という小城に在った。玄徳はその地にて、司馬徽という一世の碩学に出会ったのである。司馬徽は、一人の青年を玄徳の元へと赴かせた。玄徳は、その青年を軍師に据えることに躊躇いはなかった。
  寄居於荊州的劉表身下的玄德在新野小城,玄德在那地方遇上了舉世碩學司馬徽。司馬徽讓一位青年前赴玄德之處。玄德毫無躊躇就讓那位青年據任軍師之職。

 単福―― そう名乗る青年は、中平年間の末、知人に頼まれその仇を討った。そのために追われる身となってしまい、名を隠していたのである。青年は徐庶元直という人物であった。やがて、徐庶のその智謀のある様を諸将に示す時が来た。南方の平定を狙う、曹仁を総大将とする曹操軍が、新野目掛けて進撃を始めたのである。
  單福――報上了如此名號的青年,在中平年間末,他受知道的人依賴討殺仇人,因此成為被追緝的身份,並且被迫隱姓埋名。青年是名為徐庶元直的人物。不久,向諸將展示徐庶及其智謀樣相的時機來了。狙伺著南方的平定,曹仁為總大將的曹操軍,正開始以新野為目標進擊了。

目的:

- 曹仁が構える陣内の兵をすべて討て。
- 討滅曹仁佈陣內的全部兵隊。
- 自軍の騎兵の全滅、または、遺跡の占領による時間切れにより敗北となる。
- 自軍騎兵全滅或遺跡佔領逾時就會敗北。

ヒント:
提示:

徐庶:「辰巳の方角より突入し、戌亥の方角へまっしぐらに走れ。そして、陣中央の囲を占領し、敵を蹴散らせ。敵の数が、おおよそ減少したならば、陣内の遺跡の確保に向かうがよろしかろう。」
徐庶:「先由辰巳方角突入,再走戌亥方角,又佔領陣中央外圍,蹴散敵人。至此則敵數已大減,可向陣內確保遺跡。」

- 陣に突入するには、事実上入り口は一ヶ所しかない。その入り口を迅速に見極めよ。
- 要突入敵陣裡,事實上入口就祇有一個場所,迅速地看清楚那個入口在哪。

結果:

 曹仁は、絶対的な自信を持ってこの戦いに挑んだが、想像もし得なかった大敗となった。目の当たりにした惨状を、俄かに信じようとはしない曹仁であったが、それは紛れもない現実であった。
  曹仁抱持絕對的自信挑起了這場戰爭,卻得到想像以外的大敗。曹仁俄然無法相信他當前目睹的慘狀,但那是毋庸糾紛的事實。

 玄徳軍は、この戦いに曹仁軍が全兵を率いている事も悟っており、隙に乗じて、がら空きの樊城を奪うことにも成功したのである。曹仁は、許都へ逃げ帰る他なかった。
  玄德軍在這場戰爭察悟到曹仁軍統率全兵盡出,於是乘隙成功奪取了空虛的樊城。曹仁除了逃歸許都以外別無他法。

結果:

 徐庶は、噂違わぬ遺賢であった。にも拘わらず、玄徳軍は敗北を喫した。軍師の指示通りに兵が動かなかった為である。これに失望した徐庶は、玄徳の元から去る決意をした。
  徐庶是一名不違噂議的遺賢,然而玄德軍仍喫了一場敗北,因為兵隊未聽軍師指示行動。對此感失望的徐庶,決意要從玄德之處離去。
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发表于 2015-5-13 22:53:36 | 显示全部楼层
插个楼可以吗……

狂叔真是辛苦,可惜我无钱进行慰问,就从精神上支持一下吧
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:17:57 | 显示全部楼层
博望坡の戦い 孔明出廬
博望坡之戰 孔明出廬

歴史的背景:

 曹仁の軍が、徐庶元直という一人の軍師の前に、敗北を喫した事を訊いた曹操は、その俊邁を我が麾下に加える計をめぐらせた。徐庶の母を許昌へ捕え、そして母の元へと参じる願いの偽手紙を徐庶へ送ったのである。この手紙を見た徐庶は、玄徳にまみえ、都へ上る許しを乞うた。玄徳は、徐庶の孝養を止めることはできず、未練を残し乍もこれを承諾した。
曹仁之軍隊,

 徐庶は許都に至り、母と再会したが、母は喜びの色を示さなかった。こればかりか、息子の愚かさを嘆き、自ら命を絶ってしまったのである。それ以来徐庶は、誰人とも会わず、一室に篭る日々を送るようになった。結果、一代の軍師の器量者を世に埋めさせる事となった。

 徐庶は、新野を立ち去る際、一人の人物を軍師に据えるように、玄徳に推していた。その人物の名は、諸葛亮孔明といった。この孔明こそが、真の臥竜と呼べる人物であった。

博望坡の戦い 孔明出廬 建安一三年(西暦208年) 難易度:★ 所要時間:5分以上 

シナリオの説明:

 諸葛亮孔明―― 漢の司隷校尉諸葛豊の後裔である彼は、百年に一人、いや千年に一人、出るか出ないかの天下第一の奇士であった。

 徐庶元直を、我が元に置けぬ不覚をとった劉備玄徳は、佳日を選び、この臥竜が在る草廬へと赴く決意をした。そして数日後に、関羽、張飛を従えて、風光明媚な佇まいを見せる、隆中を目指したのである。ところが、その茅廬へと訪れた日は、孔明に出遭う事は叶わなかった。奔放な暮らしをおくる孔明は、ひとたび家をあとにすると、幾日の間に帰家するのかは、誰人とも知れぬ処となる―― 玄徳に見えた童子はそう返答した。

 やむなく新野へと引き返した玄徳は、日を改め、雪が降り頻る初冬のとある日に、再び臥竜の元へと足を運んだが、これまた先日と同じ結果であった。この時、連れ添っていた張飛は、甚だ面白くない面持を浮べていた。

 年が明けた建安一三年春、三度び隆中へ向わんとする玄徳に、ついに関羽までもが苦言を述べた。関羽、張飛は、孔明の才の程を、疑心の躰で観ていたのである。だが、玄徳の決意は固く、臥竜を訪ねる足労を厭わなかった。そして、この玄徳の孔明を想う熱情が、ついに実を結ぶ時が訪れた。

 劉備玄徳と諸葛亮孔明―― 初めて対座した二人は、この刹那から相通ずるものを感じ取っていた。そして玄徳をして、臥竜が世に出立つ決意を成させるに至ったのである。かくして玄徳は、三度にわたる訪問で礼を尽くし、諸葛亮孔明という稀世の軍師を得た。この時、孔明二十七歳であった。

 一方、南方攻略の策を連日のように練っていた曹操は、玄徳が孔明を軍師として招き入れたとの報に、早々にこれを除く決意をし、再び玄徳を討ち滅さんと、夏侯惇を都督とする十万の兵を新野へと差し向けた。対して、寡兵をもって曹軍に当たらねばならなくなった玄徳であったが、傍らに在った孔明は眉一つ動かさず、博望坡の嶮を戦の場所とし、これを迎え撃つ手筈を整えた。

目的:

- 夏侯惇率いる曹操軍を全滅させよ。
- 全滅夏侯惇所率領的曹操軍。
- 新野に在る諸葛孔明(聖職者)が討たれると敗北となる。
- 在新野的諸葛孔明(盲跛僧侶)遭到討死就會敗北。

ヒント:
提示:

諸葛亮孔明:「博望坡は、左に山あり予山といい、右に林ありて安林という。兵を三隊に分け、一隊は予山にある遺跡を目指し、さらに奥まで進まれよ。もう一隊は安林にある遺跡を目指し、この地にて伏し、敵の退路を断て。残る一隊は新野を守護せよ。」
諸葛亮孔明:「按博望坡,左有山名豫山,右有林名安林。兵分三隊,一隊往豫山遺跡前處深入前進;另一隊至安林背後遺跡,埋伏當地,斷敵退路;所殘一隊守護新野。」

 博望坡は、一瞬にして阿鼻叫喚の渦と化した。痕には、三万にも及ぶ曹軍の屍が晒され、劉備軍の大勝利となった。さらには、曹軍十万の兵を養うに値する糧秣までもを得たのである。当初、孔明の韜略の秀れていることを認めかねていた、関羽、張飛を始めとする諸将も、この大いなる勝利を目の当たりにし、衷心より、この若き軍師に拝礼することを躊躇わなかった。
博望坡一瞬間化為了阿鼻叫喚的漩渦,痕跡是曝曬著數及三萬的曹軍之屍體,是劉備軍的大勝利。此外,還得到價值曹軍十萬之兵養料的糧秣。當初,並不認同孔明韜略之優秀的以關羽、張飛為始的諸將,目睹了如此大的勝利後,都毫無躊躇向這位青年軍師衷心致上拜禮。

結果:

 主君劉備玄徳が、あたかも孔明を師のごとく厚遇するのが不服であった、関羽、張飛を始めとする諸将は、孔明の命に叛き、我が功名を望み、そして敗北を喫した。結果、玄徳は、またも秀でた軍師を失う事となった。
不服於主君劉備玄德師事孔明的厚遇,以關羽、張飛為始的諸將,違叛孔明之命,祇望一己功名,並且喫了敗北,結果就是玄德又再一次失去優勢軍師的事態了。
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長坂坡 趙雲奮戦
長坂坡 趙雲奮戰

歴史的背景:

 博望坡において大敗を喫し、その報を請けた曹操は、以外なまでも冷静であった。しかし、面に顕さない恐怖が、曹操の心中にはあった。是が非でも玄徳を討たなければ、江南を従順させることなど覚束ない―― そして自ら軍を率い、五十万もの兵が許都を発ったのである。

 その頃、荊州では、太守劉表が息を引き取る事態となっていた。劉表は、長子劉琦を太守とする旨を遺言としていたが、正室蔡夫人と夫人の実弟である謀将蔡瑁は、贋遺命を配し、次子劉琮を世嗣とせんと企て、まんまと荊州の主座は、劉琮のものとなった。そして、曹操が大軍を率いて押し寄せる報が届くや、劉琮は、暇なく、これに降服してしまったのである。

 劉表の訃が、新野の劉備玄徳の元へと知らされたのは、劉琮降服の報と、時、同じくしてであった。曹操の大軍を前に、新野の兵では、これを防ぐ手立ては無であると悟った玄徳は、新野を捨て、ここに在る民、百姓をも引き連れ、襄陽を目指したのである。しかし、襄陽の城壁からは、無数の箭が射かけられてきた。玄徳へのその号を発したのは蔡瑁であった。この時、城門を開き、玄徳を入れようとする者があった。義陽の人、魏延という人物であった。そこからは、蔡瑁率いる兵と、魏延率いる兵との、混迷極まる仲間割れが展開されたのである。玄徳は、襄陽に入る事を諦め、屈指の要害、江陵へと馬首をめぐらした。

 曹操は労せずして襄陽城内に入った。そして新太守劉琮と見えると、青州へ赴くように命じたのである。母と共に襄陽を出た劉琮であったが、于禁が手勢を率いてこれを追い、命を断った。そして曹操の兵は、江陵へ向う玄徳の一行に襲いかかった。

長坂坡 趙雲奮戦 建安一三年(西暦208年) 難易度:★★★ 所要時間:3分以上 

シナリオの説明:

 窮民を引き連れ、江陵を目指していた劉備玄徳とその一行は、曹操軍の襲撃に遭い、そこは地獄図絵と化した。糜夫人と幼君阿斗を守護する命を帯びていた趙雲子竜は、これを見失い、捜索に奔走していた。

 やがて、とある百姓家の涸井戸の傍に、糜夫人が幼君阿斗を抱いて俯伏しているのを、ついに探しあてた。糜夫人は、安堵の泪にくれたが、己の傷の深さに足手まといになるのを危惧し、幼君を救いたもうと云い残し、涸井戸の中へ身を投じてしまった。

 趙雲は、涸井戸の奥深くへと幾度もなく叫び、その頬には泪が伝っていた。だが間もなく、曹軍の馬蹄の音が辺りに響き渡った。この上は、いかなることがあろうと幼君の命を助けんと心に誓い、敵軍勢の中を疾駆していった。

目的:

- 趙雲よ、長坂橋で待つ張飛の元へと辿り着け。
- 趙雲要抵著長坂橋張飛等待之處。

ヒント:
提示:

- 長坂橋に在る、二本の旗を目指してまっしぐらに駆けよ。
- 以長坂橋所在的二支旗幟為目標一直驅馳。
- 無用な戦いは極力避けよ。だが、道を阻む者があれば、容赦無く斬り捨てよ。
- 極力避開無用戰鬥,但對阻道者要無情斬殺。

結果:

 趙雲の、幼君阿斗を救わんとするその凄まじさは、執拗に追い縋る曹軍を、次から次へと薙ぎ倒し、巨万の兵の中を、縦横無尽に駆け通した。それはまさに、阿修羅のごとくであった。そして、長坂橋へと辿りつき、幼君の、その生命の灯火を守り抜いたのである。

 長坂橋上で待ち構えていたのは、燕人張飛翼徳であった。張飛は趙雲を先へと急がせ、自らはただ一騎で、曹軍を食い止めるべく、そこに立ち塞がったのである。張飛の張り上げたその声は、稲妻のごとく天地に轟き、果敢にも張飛に挑んだ僅かな曹兵らは、悲鳴を上げる暇もなく、巨大な蛇矛の餌食となった。この様を観て取った巨万の曹軍の諸兵は、恐れをなし、どよめきを残し乍ら退いた。

 玄徳一行は、その数を多く減らしながらも、ようやく難を逃れるに至った。しかし、猛然たる曹軍の追撃に遭い、江陵へ向うことは不可能となり、劉琦の統べる江夏城へと向う事となった。

結果:

 趙雲は、追い縋る曹軍を前に追い詰められ、息絶えた。劉備玄徳の運命も、風前の灯火となった。
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:18:39 | 显示全部楼层

赤壁の戦い
赤壁之戰

歴史的背景:

 長坂橋にて劉備玄徳を逃した曹操であったが、その後、矢継ぎ早に江陵を攻め落とし、再び荊州へと引き返していた。荊州を制圧し、玄徳が威勢を失っている今、天下を統べるに、残るは呉一国のみであった。荊州の水軍を手中に収めた今の曹操には、時世の風というべき勢いがあった。そして百万にも及ぶ軍勢を呉との境に布陣させ、その威圧をもって、呉に最後通牒を行ったのである。

 呉では、曹操の圧倒的兵力を前に、降伏か開戦かで論議が割れていたが、開戦を推す人物の筆頭に魯粛子敬が在った。魯粛は、玄徳と手を結んで曹操を破らんとするため、江夏へと赴いたのである。江夏に在る玄徳にとっても、孫権と好を結び、曹軍と呉を戦わせることが最善の策であり、孫権を始めとする呉の重臣らを説くため、孔明が魯粛とともに呉へと赴いた。

 孔明は、呉の降伏を勧める重臣らに対して、堂々たる雄弁を言い放ち、その論を一手に退けた。呉は、それでもなお選ぶべき道の結論が見出せず、孫権は、兄孫策と義兄弟の誓いを交わした呉水軍都督、周瑜公瑾にその結論を求めたのである。周瑜は、当初は戦うべきではないと論じていたが、突如曹操に対して激高し、一転、開戦を決意した。その周瑜を激高させ、開戦に踏みきらせたのは、言うまでもなく、孔明の言であった――

 かくして、歴史にその名を残す一大決戦が、今ここに繰り広げられようとしていた。

赤壁の戦い 建安一三年(西暦208年) 難易度:★★★ 所要時間:25分以上 

シナリオの説明:

 曹操率いる大水軍は、連環の計により船を連結、要塞化していた――

 烏林に陣取る曹操に対し、周瑜率いる呉軍は赤壁に陣取り、両軍が揚子江両岸に対峙した。両軍、敵の裏を謀る内部攪乱の計略を繰り返した後、火計にて事を決しようとしていた周瑜は、一人の賓客を陣営に招き入れていた。その人物は、諸葛亮孔明と並び称される偉才、ホウ統士元であった。ホウ統は、呉の火計を成功させるべく、曹操の陣営に赴き、その知計により曹軍の兵船を、無数の鎖にて連環させる事に成功するのである。

 連環の計は、水上の生活に馴れぬ北方の兵を、多く抱える魏軍の利と成っていた。しかしそれは、時節の西北の風が吹く限りの事であった。そして、満を持してここに東南の風が吹き、呉水軍全艦隊が出動したのである。

目的:

- 偽りの投降である蔡和を処刑せよ。
- 將偽作投降的蔡和處刑。
- 曹操率いる魏軍を全滅させよ。
- 全滅曹操所率領的魏軍。
- 呉軍は、ガレー船・軍艦が全滅すると敗北となる。
- 吳軍戰船、軍艦全滅就會敗北。

ヒント:
提示:

- 敵水軍の攻撃を縦横無尽にかわしながら攻撃すれば、少数の艦隊といえど互角以上の戦いが可能である。
- 若讓敵水軍的攻擊形成縱橫無盡的一直線,少數的艦隊亦可能有互角以上的戰績。
- 湾外の水軍を全滅させた後、湾内へなだれ込め。身動きの取れない艦隊は、もはや敵ではない。
- 全滅灣外的水軍後,就會到達灣內,而失去動身取路的艦隊根本稱不上是敵人。

結果:

 猛然と湾内になだれ込んだ呉軍は一気に火を放ち、折りからの強風にあおられた火は勢いを増し、湾内は火焔地獄となった。随所で爆音が轟き、曹兵らは見る見るうちに火柱に包まれ、巨大な軍船と共に、水底へと呑まれていった。さらに火の粉は陸の陣にまで降り注ぎ、辺り一面、ありとあらゆる物を焼き尽くしていった。この戦いにおいて、三十万を超える兵が、その炎に焼け、或いはその水に溺れ、命を落としていったのである。

 曹操は、この俄かには信じ難い光景に茫然自失となり乍らも、懸命に血路を開き、ただがむしゃらに逃げた。しかし孔明は、この遁走する曹操の行く手をことごとく予見し、遁走路の先々に兵を差し向けていたのである。趙雲、張飛らに出くわした曹操は肝を潰し、ここでも尚、疾駆する馬の背中にしがみつく他なかったが、張遼や徐晃が、捨て身の反撃を随所に見せた結果、これをようやく防ぎきり、曹操は辛くも難を逃れた。

 幾許かの距離を進み、安堵の息をついた曹操であったが、その時には、曹操を取巻く部下は、ごく僅かとなっていた。それも、皆傷つき、疲れ果て、立ち上がる気力さえも失われていた。そこへ、燃えるような紅色の名馬にうちまたがり、威風堂々とした武将が現れた。関羽雲長である。だが、この最後に待ち構えていた武将が、関羽であったことが曹操の命運を永らえる事となった。関羽は、散々たる将の姿を観てとり、胸が疼いた。曹操の許都での恩遇が、関羽の脳裏を駆け巡っていたのである。そして関羽は、惨兵が通り過ぎるのを、無言で見送った。

結果:

 東南の風に乗り、優位に戦える手筈の呉軍であったが、圧倒的兵力の魏軍の前に、及ぶところではなかった。
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:18:46 | 显示全部楼层
侵攻玄徳軍 経国への道
侵攻玄德軍 經國之道

歴史的背景:

 赤壁の大勝に勢い付いた呉軍は、南郡を攻略すべく、出撃の備えを着々として進めていたが、そんな中、劉備玄徳率いる軍が、油江口に陣を布いたとの報が、周瑜のもとに齎された。これに、周瑜の表情は一瞬に強張った。玄徳が、南郡を我が物にせんとの動きであると観たのである。周瑜は、憤りを抑えながら油江口に赴き、玄徳に見えると、曹操の大軍を撃ち破ったのは我が呉軍であり、南郡を獲る権利は呉にあることを主張した。対して玄徳は、これを正論であるとしたが、呉軍が南郡攻略に手に余るようであれば、南郡を我がものとする由を伝えたのである。南郡攻略を確信していた周瑜は、これを承諾し、油江口を後にした。

 そして呉軍は、曹仁が守護する南郡へ襲いかかったが、懸命に城を守らんとする曹仁を前に、思いのほか苦戦を強いられる事となった。そればかりか、周瑜が箭を射たてられ、重い傷を負う事となってしまったのである。その後、辛うじて曹仁を敗走せしめ、南郡は掌中に帰したと思われたその時、南郡の城壁上には、すでに玄徳軍のおびただしい旌旗が立ち並んでいた。

侵攻玄徳軍 経国への道 建安一三年(西暦208年) 難易度:★★★ 所要時間:25分以上 

シナリオの説明:

 赤壁での曹操の大敗、周瑜軍の南郡攻略の苦戦をみてとった、諸葛亮孔明指揮する劉備玄徳の軍勢は、鮮やかな奇策により、南郡を奪い、さらに荊州・襄陽の地も占拠するところとなった。

 そしてさらに孔明は、周瑜が病に臥し、曹操もまた、赤壁での大敗によって時を待たなければならない事を見定め、荊州南部の四郡を攻める事にしたのである。

目的:

- 零陵城、桂陽城、武陵城、そして長沙城の四城すべての政治機関を我が物とせよ。(転向)
- 將零陵城、桂陽城、武陵城以及長沙城四城全部的政府中心收為我物(感化)。
- 最後の城、長沙の城外に在る、老将軍黄忠(弓騎兵)を、味方に付けよ。(転向)
- 讓在最後的城池長沙城外的老將軍黃忠(重騎兵射手)加盟我方(感化)。
- 諸葛亮孔明(聖職者)が討たれると、敗北となる。
- 諸葛亮孔明(阿蒙.拉)遭到討死就會敗北。

ヒント:
提示:

- 第一の城、零陵城は、敵と真っ向勝負せよ。治療をしながら行えば、事は成る。
- 第一座城零陵城要與敵人正面分勝負,通過進行治療就能成事。
- 第二の城、桂陽城は、壁際の狭道を通れば、無駄な時を費やす事は無い。
- 第二座城桂陽城要通過壁際狹道,別做徒勞浪費時間的事。
- 第三の城、武陵城は、破壊すると先に進めなくなるユニットがあるので注意せよ。
- 第三座城武陵城要注意有不得不先破壞才能前進的部隊。
- 第四の城、長沙城は、城の背後に走り、城の中の魏延率いる兵に、反乱を起こさせよ。
- 第四座城長沙城要走到城的背後,讓城中的魏延率兵起事反亂。
- 孔明を常に保護するよう、心がけよ。ならば、荊州四面の国は敵にあらず。
- 經常用心保護孔明,荊州四面之國都是敵人。

結果:

 零陵において、豪勇ケイ道栄が趙雲子竜の槍の餌食となり、桂陽でもまた、陳応、鮑龍の首が跳ね飛んだ。零陵の劉度、桂陽の趙範を降服せしめ、さらに武陵では、張飛の鎧袖一触の攻略となった。
 長沙へは、関羽が進発していった。猛者黄忠との凄まじい決闘を展開した後、太守韓玄は、黄忠に謀反の意志ありときめつけ、首を斬ろうとした。これを暴虐無道であるとした魏延が、韓玄の首を刎ね、その首を関羽へ献じる事となったのである。

 かくて―― 零陵城、桂陽城、武陵城、そして長沙城の四郡は、玄徳のもとに平定された。玄徳は、さらなる経国への道を、今ここに歩み始めたのである。

結果:

 孔明を失い、荊州四面の国の確保に失敗した玄徳は、魏、呉よりの猛威にさらされる事となってしまった。
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:18:56 | 显示全部楼层
成都攻略戦
成都攻略戰

歴史的背景:

 以前に荊州の太守であった劉表の嫡男劉琦は、襄陽に在ったが、生来、脆弱な身体であった彼は病に仆れ、ついには息を引き取る事となった。玄徳が荊州を平定し、これを不服とした呉が、抗議するに至った際は、劉琦が在る限り、荊州は彼のものであると退けていたが、劉琦が死去した今、呉は当然、荊州・襄陽、南郡の統治権は我が物であると主張してきた。これに対し孔明は、劉備玄徳が、西川を得たならば、荊州を譲ると約束したのである。この孔明の弁に合点のいかぬ孫権・周瑜は、荊州を奪うべく策をめぐらしたが、孔明の、さらに上をいく智略の前に、ことごとく苦汁を嘗めさせられる結果となった。そしてさらに、呉にとってこの上ない不幸が訪れた。周瑜が世を去る事態となったのである。

 その頃、許昌の曹操は、南征を達成すべく、その障害になるであろう、西涼の馬騰を討ち滅していた。この報に接した漢中の太守張魯は、曹操の威勢が漢中に及ぶことを危惧し、益州・西川を奪う策を起て、これに備える臍を固めたのである。一方、益州太守劉璋は、張魯の侵攻策を免れんと、張魯を亡ぼす事を説くべく、別駕張松を許昌へ赴かせた。

 曹操にまみえた張松は、曹操という人物を観てとり、曹操に国の存亡を委ねたならば、漢中を平定した後、蜀とて同じ命運を辿ることになると結論付けた。許昌をあとにした張松は、荊州に立ち寄り、劉備玄徳という人物に接見することにしたが、荊州にて張松を待っていたのは、国を挙げての歓待であった。張松は予てから、劉璋が暗愚で、蜀を統治するに値しないとの考えであり、玄徳の徳に感心した張松は、玄徳に蜀を獲ることを勧め、荊州をあとにした。

 益州に帰還した張松は、劉璋にまみえると、劉備玄徳と好を結び、玄徳を外援の力とする事を説いた。劉璋はこれに頷き、玄徳のもとへ使者を赴かせたのである。かくして―― 玄徳の軍は、劉璋を援護せん、との名目で益州に入った。

成都攻略戦 建安一八年(西暦213年) 難易度:★★★ 所要時間:12分以上 

シナリオの説明:

 蜀を安住の地とする―― 劉備玄徳の軍は、黄忠を先鋒とし、中軍に玄徳が在り、魏延がしんがりに付き後詰となった。蜀攻略の布陣であった。

 益州の別駕張松が、太守劉璋にかわり、玄徳を主君とすべく策をめぐらし、玄徳の軍はフ城へと入った。劉璋は、玄徳の張魯撃破の任を信じて疑わなかったが、張松が不覚をとり、策は露呈することとなってしまった。劉璋は憤怒し、玄徳刺殺の命を布令したのである。
 その後玄徳は、フ水関を落とし、その威勢に任せ、一気にラク城攻略をこころみたが、難攻不落の要害、ラク城を前に苦戦を強いられ、玄徳は孤立し、窮地に陥った。

 一方、荊州の守護の任にあった諸葛亮孔明は、主君の逆境を予見し、張飛を、巴郡・ラク城へ急行させ、そして自らもまた、そのあとからラク城へと進んだ。

 張飛よ、孤立した玄徳を救え。その後さらにラク城を抜き、孔明と合流したならば、成都へと向かえ。

目的:

- 巴城、ラク城の政治機関を破壊せよ。
- 將巴城、雒城的政府中心破壞。
- 漢中より馳せつけた軍の将、馬超(英雄)を味方につけよ。
- 讓馳駟漢中的軍將馬超(赫克特)成為盟友。
- 玄徳(英雄)・張飛(英雄)・馬超・孔明(聖職者)の4人が、成都の政治機関に到達すれば、勝利となる。
- 讓玄德(赫克特)、張飛(亞歷山大)、馬超、孔明(僧侶)四人到達成都的政府中心就能勝利。

ヒント:
提示:

- 張飛は怒涛の攻めで突き進め。
- 張飛要以怒濤攻勢作出突進。
- 玄徳は、窮地と見れば、ひたすら逃げよ。
- 玄德如果看上來陷入了窮地,就祇管逃跑吧。

結果:

 この闘いにおいて、劉備玄徳の大義の前に、多くの将がこれに降り、劉璋は追い詰められ、ついに降服を承諾した。

 楼桑村にて大志を胸に立ちあがり、二十有余年経った今、ついに劉備玄徳は、ここに初めて自らの国を得たのである。

結果:

 劉備玄徳の大義を為すという志は、ここに閉ざされた。
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老将 驕兵の計
老將 驕兵之計

歴史的背景:

 天下が三国に分かれてから時は流れた。呉の孫権は、蜀に対し荊州の返還を強く訴え、また、魏の曹操にあっては、蜀の扉とも言える漢中の征伐に動き出していた。そして曹操は、ついに漢中を攻略し、建安二十一年夏五月、魏王を名乗ったのである。この時既に、献帝の存在は形骸化していた。

 目下、三国の争いは、避けては通れぬものとなっており、そこには、周密な駆け引きが展開されていた。それは、魏と蜀にとっての要所である漢中にあっても同様であった。そして、曹洪率いる軍勢が、蜀との境に積極的に集結し始めていたのである。

老将 驕兵の計  建安二三年(西暦218年) 難易度:★★★ 所要時間:9分以上 

シナリオの説明:

 蜀と魏の、漢中をめぐる戦いの火蓋が切って落とされた――

 まずは、蜀・張飛と、魏・張コウの戦いであった。三万の兵を率い、意気揚々と巴西へ押し寄せた張コウであったが、張飛の知略の前に一敗地に塗れ、三万の兵を失う結果となった。このままでは収まりのつかない張コウは、再び闘志を漲らせ、五千余騎を従えて葭萌関へと向ったのである。葭萌関を守護する孟達は、これを迎え撃ったが、この戦闘に敗れては死が待ち受けているに相違ない、張コウの意気込みの前に、散々に敗れてしまい、これに苦慮した孟達・霍峻は、孔明の思案を問うべく、成都に使者を向わせた。

 この報に接した孔明は、張コウを敗走せしめるには張飛をおいて他にないと、玄徳に進言したが、この言葉の終らぬうちに、烈しく声をあげ、前に進み出た老将がいた。その老将は黄忠漢升であった。黄忠は、年老いたとはいえ、臂力いまだ衰えを見せぬことを訴え、葭萌関への援軍を申し出たのである。この覇気を認めた孔明は、必ず副将を伴うことを条件に、この任を黄忠に命じた。黄忠は副将として、もう一人の老将厳顔をつれ、葭萌関へと向かった。

 黄忠・厳顔の二将が葭萌関へ到着するや、敵・味方共に、年老いた将を嘲笑った。しかし乍ら、黄忠・厳顔は張コウの軍勢を、すぐさまに退けたのである。これを知った曹洪は、夏侯尚に五千騎を与えて、張コウの援助に向わせた。

 夏侯尚の兵が陣を構えたその夜、厳顔率いる一隊が、何処かへ向けて陣を出た。この地の近くに天蕩山という山があったが、曹操軍はそこに兵粮を蓄えており、二老将はこの山を攻め獲る計をめぐらしたのである。居残った黄忠は、夏侯尚と刃を交えたが、幾度も敗走し、次々と陣を奪われ、とうとう葭萌関へと逃げ帰ってしまった。

 驕兵の計―― この事態を訊いた、玄徳をはじめとする諸将らは不安を覚えたが、孔明ただ一人が北叟笑んだのである。

目的:

- 黄忠・厳顔(英雄)が天蕩山山頂に辿り着き、さらに山頂にある貯蔵庫・穀倉(計4個)を破壊せよ。
- 黃忠(亞歷山大)、嚴顏(亞歷山大)要抵著天蕩山山頂,再將山頂的四個倉庫、穀倉破壞掉。

ヒント:
提示:

- 黄忠の一隊はまず、葭萌関へ逃げ帰り、味方を打って出させよ。
- 黃忠的一隊先要逃歸葭萌關,好讓盟友攻打出來。
- 厳顔の一隊は、天蕩山の背後へまわり、時を待て。山頂の兵が打って出たならば、隙を見て攻撃せよ。
- 嚴顏的一隊在天蕩山的背後等待時機,去到山頂兵隊攻打出來以後,看準機會乘隙發動攻擊。
- 敵・味方の誘導がカギとなる。
- 誘導敵人、盟友將是關鍵。
- このシナリオは敵が攻撃的であればあるほど、こちらの策略にはまりやすい。難易度を「非常に難しい」で戦うと、事が迅速に進みやすい。
- 本劇本的敵人將積極地攻擊,因此很容易落入我方的策略之中。當用「最難」難易度作戰時,戰事進展會很迅速。


結果:

 勝戦に気を緩めた夏侯尚の軍に、猛然と襲いかかった黄忠の軍は、奪取された陣すべてを瞬く間に取り返し、さらに暇なく天蕩山へと攻めこんだ。天蕩山を守護する夏侯徳は、これを蹴散らさんと坂路を駆け下りたが、その刹那―― 山上より猛々しい鬨の声が響き渡り、陣所の各処より一斉に火の手があがった。背後を突いた厳顔の一隊である。そしてこれに動揺した夏侯徳に、厳顔の年老いたとは微塵も感じぬ、その鋭い一撃が喉笛を貫いた。曹軍はもはや、この場を捨てて逃げる他なく、黄忠・厳顔二老将の獅子奮迅の大勝となった。

 この勝利に勢いを増した蜀軍は、この期に漢中攻略を成すべく、十万の兵を動員し、漢中を目指したのである。急報を受けた曹操は、自ら軍を率いて、これにあたったが、結果は蜀軍の勝利となり、曹操はあわや自らの命運を落とすほどの危機に陥り、許都へと逃げ返った。

 こうして漢中を手中に収めた玄徳は、魏・呉両国に対して、脅威となりうる広大な領有を持つに至ったのである。そして建安二十四年の秋七月―― 劉備玄徳は、漢中王の位に即いた。

結果:

 猛然と押し寄せた魏軍の前に、七十を超える老将の臂力では、もはや抑えるべき力はなく、敗戦の憂き目をみる他なかった。
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寿亭侯関羽 樊城攻防戦
壽亭侯關羽 樊城攻防戰

歴史的背景:

 劉備玄徳が漢中王となった、建安二十四年の七月、曹操は、呉に荊州を攻めさせる計をめぐらせた。魏と呉が誼を結び、共に玄徳を討ち滅さんとする旨の、書状を携えた使者を呉に向わせたのである。呉にとっては、魏と誼を結ぶも、結ばざるも、共に選択し難いものであったが、荊州を守護する関羽の動向が、呉に対して端倪すべからざるものであったため、上辺は魏と組んだように見せかけ、魏軍を先に動かすように仕向けた。

 この両国の動きを察知した蜀は、先手を打つべく、関羽に樊城攻略を命じ、関羽は直ちにこの命を汲み、主勢を引き連れ樊城へと向った。

寿亭侯関羽 樊城攻防戦  建安二四年(西暦219年) 難易度:★★ 所要時間:8分以上 

シナリオの説明:

 魏が動く先手を取り、樊城を攻める―― 関羽は主勢を引き連れ荊州を進発した。

 樊城にあって、この報に接した曹仁は、関羽の軍勢を迎え撃つべく襄陽へと向った。そして襄陽郊外において、両軍の攻防が展開されが、赤兎馬を駆り、ひとたび関羽が偃月刀をいかづちのごとく唸らせれば、これに怯えぬ者は皆無であった。そして曹仁は我を忘れて樊城へと逃げ返り、関羽は、呉に対しての備えを万全に布き乍ら、樊城を包囲したのである。

 曹仁が一敗地に塗れたという急報が齎されると、曹操は曹仁の危機を救うべく、于禁を樊城に赴かせた。その軍勢の先鋒を行くのは、かつて馬超の股肱であったホウ徳令明であった。ホウ徳は、棺を担いで戦場に赴くほどの覚悟であり、関羽ほどの名将をこの手で葬る我が栄誉を信じて疑わなかった。そして、関羽と剣を交える機会が到来するや、それは、両軍の兵が戦いを忘れて固唾を飲むほどの凄まじいものであったが、その戦いはついに決着を観る事はなく、互いに陣へと引き揚げた。

 その後、于禁が北の山の裏手へ陣を移動させたとの報せに、関羽は連日降り頻る雨で水嵩の増した、襄江の上流の一川に堰を造り、この流れをせき止めたのである。そして突如として、魏軍の陣を、轟音と共に濁流が襲い、魏軍は、この荒れ狂う猛威に為す術は無く、濁流に呑まれ、多数の兵が溺死していった。于禁・ホウ徳らの部将は、辛うじて高台に駆けあがり命運をとりとめたが、さらに押し寄せた関羽の軍勢に、于禁は程無くこれに降服した。しかし、ホウ徳においては、最後の一兵まで戦う覚悟であった。

目的:

- ホウ徳令明(茶・英雄)を討ち、ホウ徳の軍(赤)を全滅させよ。
- 討殺龐德令明(亞歷山大),全滅龐德之軍。
- 関羽(英雄)が討たれると敗北となる。
- 關羽(亞歷山大)遭到討死就會敗北。

ヒント:
提示:

- 敵は濁流に取り残され、身動きが取れない。一気に攻撃せよ。
- 敵人都是遭濁流浸取後而殘留下來的,並且已經失去動身取路,一氣作攻擊吧。

結果:

 ホウ徳は、ただ一人となり乍も荊州兵を相手に死闘したが、水中へ投げ出され、水練の達者である周倉のまえに、ついに生け捕られた。関羽の前に曳き出されたホウ徳であったが、微塵も臆するところを見せず、その姿は堂々たるものであった。そしてここが我が命運の終焉の場所であると言い放ったのである。関羽は、かつての主君、馬超が蜀に在ることを由とし、降ることを説いたが、ホウ徳は頑としてこれを訊き入れなかった。これに頷いた関羽は、自らの手でホウ徳の首級を刎ねた。

 于禁の惨敗をうけ、再び策を模索した曹操は、呉に関羽の背後を衝かせるべく使者を送った。これに呉は、魏と手を結び、荊州を襲う手筈を整えたのである。呉ではこの時すでに、大都督であった魯粛が世を去っていたが、魯粛が健在であったならば、魏が持ちかけたこの策を採る筈が無かったであろう。魯粛の後を受け、大都督となっていた呂蒙は、周瑜の仇を討つことに、異常なまでの執着を持つ人物であり、関羽を討てば、その弔いの戦いに出でた孔明を滅すことができる―― それであった。

 陸口に至った呂蒙は、荊州の万全な防御を知り、とある策に出た。自らは病床に臥したと偽り、代わって陸遜を大都督としたのである。関羽は、陸遜という無名な将が都督に就いたという事に、疑念を抱くことをせず、陸遜恐るるに足らずと、陸口を守護させていた兵の大方を、樊城へと移動させてしまった。この時、徐晃が指揮をとる魏軍も、関羽の正面に迫っていたのである。

 そして呂蒙は、守備の薄れた荊州へ怒涛のごとく押し寄せ、あっけなくこれを撃ち落としてしまった。急遽、荊州へ馬首をめぐらせた関羽であったが、関羽の引き連れる兵の多くは、荊州に身を置くものばかりであり、我が家族の在る荊州への進撃に耐え兼ね、離散する者が後を絶たなかった。残った兵は僅か五百でしかなく、関羽は追い詰められ、麦城という小城に追われる事となった。

 麦城内に兵粮の蓄えはなく、永らく持ち堪える事は不可能であり、この上は敵陣を突破し、間道を抜けて遁れるより術は無く、関羽は、意を決して麦城から駆け出し、遮二無二、西を目指した。関羽の行く手に罷り出る者には、偃月刀が天から降注ぐがごとく、容赦なく血飛沫が舞った。だが―― これが関羽最後の雄姿となったのである。とある密林の小道に差しかかった刹那、関羽は突如として現れた伏兵に足元を掬われ、赤兎馬の、その馬上から転がり落ち、そしてついに、呉王孫権の面前に曳き据えられたのである。孫権は関羽に対し、降る事を執拗に説いたが、関羽から発せられたのは、孫権に対する侮辱の言葉のみであった。憤りを感じた孫権は、関羽の首級を刎ねる事を命じた。

 往年、長髯を風に靡かせ赤兎馬に打ち跨り、偃月刀を携えたその威風堂々とした姿に、敵兵であり乍らも皆、惚れ込み、或いは憧れた。その天下に名を響かせた、武将の最期に立ち遭った兵らは、戦慄を覚えずには居られなかった。

 時に建安二十四年冬十二月。関羽五十八歳であった。

結果:

 関羽は、我を忘れて遁げるホウ徳を追ったが、無名の兵の放った一矢に射抜かれ、その最期はあっけないものとなった。
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:19:24 | 显示全部楼层
夷陵の戦い 蜀呉の死闘
夷陵之戰 蜀吳死鬪

歴史的背景:

 いかに強大な権力を握った者であっても、必ずやその座を譲る時が訪れる。人は、生れながらにして、絶対的な宿命を背負っているのである。それは即ち、死であった。当然ながら、魏王曹操とて、宿命から遁れ得る事は不可能であった。関羽が絶命した、その僅か一月余り経った後、重い病が曹操を襲ったのである。そして、建安二十五年の春正月の下旬、六十六年の激動の生涯を閉じた。

 曹操の跡を継ぎ、魏王の位に即いた曹丕は、今ここに漢はその使命を終え、魏がそれに取って代わるべきであるとし、その年の九月、重臣らが兵を引き連れ、宮廷内へと押し寄せた。献帝は為す術も無く、玉璽は曹丕の掌中へと納り、曹丕は帝位にのぼったのである。元号は黄初となり、国号は大魏となった。

 曹丕が大魏皇帝となったという報を訊いた孔明は、劉備玄徳をして、皇帝とする事に吝かでなかった。あくまで、魏と対抗する事を世に示しておかなければならなかったのである。玄徳は容易に承知しようとはしなかったが、曹丕の即位を認めてはならぬと覚り、建安二十六年の四月、章武元年と改め、国を大蜀と号し、蜀の皇帝たることを宣言した。

夷陵の戦い 蜀呉の死闘 章武元年(西暦221年) 難易度:★★ 所要時間:12分以上 

シナリオの説明:

 劉備玄徳が大蜀皇帝に即いたその年、蜀の章武元年七月、蜀軍七十五万は呉を討つべく成都を発した。孔明、趙雲らはこれを諌めたが、玄徳は頑としてこれを肯き入れなかった。関羽を討たれた無念を晴らすべく、仇敵を滅さんとするその玄徳の挙は、全く別人の様であった。

 この玄徳の決意に勇躍したのは、ロウ中の主座となっていた張飛であった。自らも軍を率い、江州にて玄徳と落合うべく、出陣を布告した。だが――
 張飛という人物は、いざ戦場に赴けば、その勇猛さを充分に発揮し、敵を圧倒し、見事なまでに蹂躪した。しかし、政を行うには、張飛はあまりにも不向きであった。張飛は、麾下の末将范疆・張達の二人に無理強いをした結果、大酒を食らい、臥榻にて眠っている合間に、剣を体中に突き立てられ、息絶えた。桃園にて誓いを立て、大地を駆け巡ってきた士が、ここに五十五年間の終焉を迎えたのである。

 張飛相果てるの報に接し、玄徳は愕然として色を失った。しかし玄徳の前に、この生気をとり直すに足る、二人の若武者が躍り出たのである。張飛の嫡男張苞であり、関羽の次男関興であった。玄徳は、父の威風にも劣らず、逞しく成長した二人の姿に泪した。

 かくして、玄徳の行軍は、気も新たに怒涛のごとく、呉の境へと急いだ。

目的:

- 怒涛の進撃により、孫桓・朱然(赤)、甘寧(茶色)の軍勢を全滅させよ。
- 以怒濤的進擊全滅孫桓、朱然、甘寧軍勢。
- 潘璋の首級を挙げ、関羽の仇を討て。また、張飛を殺した范疆・張達の二人を血祭りにせよ。
- 舉獲潘璋首級來為關羽報仇,並且把殺死張飛的范彊(方陣兵百夫長)、張達(鐵甲步兵)血祭。
- 陸遜の軍勢が押し寄せたならば、血路を開き、白帝城へ逃げ込め。上記目的を達成し、玄徳(英雄)が白帝城の政治機関へと辿り着いたならば、勝利となる。
- 達成上述目的之後,讓劉備、張飛、關羽三人於大興山山頂集合以宣告勝利。
- 玄徳が討たれると敗北となる。
- 玄德(亞歷山大)遭到討死就會敗北。

ヒント:
提示:

- 怒涛の進撃あるのみである。
- 祇有怒濤的進擊了。
- 白帝城への血路を開くには、そのタイミングが重要となる。
- 要殺開往白帝城的血路,重要的是選對時機。

結果:

 蜀軍の勢いは凄まじく、連戦連勝を続け、呉軍の陣を次々と奪い取った。なかでも、張苞・関興二人の若武者の戦いぶりには目を見張るものがあった。

 呉の孫権は、陸遜を大都督とし、興亡の決戦をする臍を固めていた。陸遜が大都督に即いたという報に接した玄徳は、目の色を一変させた。呉の呂蒙が荊州を落城せしめ、関羽を死に至らしめたのは、むしろ陸遜の知謀に寄る所が大きかったのである。蜀軍七十余万は陸遜を討つべく、四十数箇所の陣屋を結び、八百里にも及ぶ長大な距離に布陣した。

 この蜀軍の布陣の様を訊いて、歯噛みをし、歎いた者が在った。漢中にて戦況を見守っていた諸葛亮孔明である。蜀軍の布陣は、まさに敗北の兆しをつぶさに伝えており、孔明は、この愚昧な策に対して、彼にしてはめずらしく、烈しく罵った。孔明の脳裏には、玄徳の死というものが、いまここで鮮明に過ぎっていた。

 そして、章武二年九月上旬、陸遜はこれまで、長らくの沈黙を続け、戦いを挑む事はなかったが、一転、蜀軍に向かって一斉に襲い掛かったのである。呉軍勝利の時機到来であった。呉軍は次々と敵陣に火を放ち、蜀軍の曾ての勢いは完全に、この炎によってかき消されていった。陣を分断され、孤立した諸兵らは、援護を乞う事も出来ずに果てていった。

 玄徳は、命からがら白帝城に逃げ込んでいたが、白帝城の周りを呉軍に固められれば、恐らくは長きに持ち堪える事は不可能であった。そして、そのまま成都までもが、危機に曝されようとしていた。しかし、突如として陸遜は、軍を一斉に引き揚げたのである。これはこの時、呉の虚を衝かんとする魏の大軍が、三路より向かっていたためであった。蜀にとっては、幸運であると言えた。

 しかし、玄徳の心労は相当なものであった。これが許となり、体を重く患い、病牀に仰臥する日々が続き、ついには昏睡するに至っていた。この時玄徳の目に映っていたのは、関羽、張飛の二人の姿であった。自らの、高く二人を呼ぶ声に意識を取り戻した玄徳は、関羽、張飛が迎えに来たと合点した。

 桃の花咲き乱れる春、三人で力強く誓い合った義―― 漢室の復権を信じて止まず、闘志に溢れたその澄んだ眸の青年が立ち上がってから、四十年足らずの歳月が瞬く間に過ぎ去っていった。そして章武三年四月二十四日、志を果たせぬまま、劉備玄徳が世を去った。寿齢六十三歳であった。

結果:

 この敗戦により、蜀滅亡の日は、刻一刻と近づいた。
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:19:34 | 显示全部楼层
孔明南蛮行
孔明南蠻行

歴史的背景:

 劉備玄徳が逝き、蜀では太子劉禅が皇帝の位に即き、年号も建興元年と改められた。そして国議は劉備玄徳に昭烈皇帝と諡し、新帝の治世にその余光あれと祈った。新帝となった劉禅公嗣は、この時未だ御年十七歳であった。

 若き皇帝が立った蜀を討ち滅すのは、今を置いて他にないと決意した魏の曹丕は、総兵力をもって、五手に分れ攻め寄せてきた。それは、玄徳が逝ったその一年後のことであった。これに不安を隠せないでいた劉禅であったが、孔明は既に、魏の出方を看破しており、万全の布陣をもってこれを退けたのである。

 五手に分れた魏軍の中には、魏と同盟を結んだ呉の軍と、南蛮王・孟獲の軍が含まれていた。これに孔明は、呉へ鄧芝を使者として遣わし、その才をもって呉と和睦をすることに成功し、また南蛮に対しては、孔明直々に遠征し、南蛮を帰順せしめる策をとることとなった。

孔明南蛮行 建興三年(西暦225年) 難易度:★★★★ 所要時間:12分以上 

シナリオの説明:

 孔明は、南蛮国に対して懸念を抱いていた。南蛮王・孟獲が欲望を欲し、蜀・益州を伺う姿勢を見せていたのである。そして孔明の決意は成った。孟獲を帰順させ、国の愁いを取り除く―― それであった。
 この時呉は、蜀に対して同盟関係にあり、また魏においては、蜀呉同盟に憤怒した曹丕が呉に攻め入ったが、思わぬ大敗を喫し、蜀に攻め入る士気が衰えていた。南蛮へと兵を起こすには、今が好機と言えた。

 しかし孔明は、すぐさま南蛮へと兵を向わす事をしなかった。南蛮王・孟獲をして、益州に攻め入ってくる時こそ好機であるとの考えであった。そして建興三年春、孔明の先見たがわずに、孟獲が十万の軍勢を率い、益州南部の国境へと押し寄せたのである。

 かくして―― 孔明は、自ら軍を率い、不毛の地、疫病の国といわれる南蛮の地へと、進軍を開始した。

目的:

- 三江城に在る朶思王(橙・英雄)を討て。
- 討殺在三江城的朶思王(伊阿宋)。
- 八納洞の木鹿王率いる兵(黄色)を全滅させよ。
- 全滅由八納洞木鹿王(戰象)率領的兵隊。
- 後陣内に在る孟獲(赤・英雄)を心服させよ。(転向)
- 讓在後陣內的孟獲心服(感化)。
- 諸葛亮孔明(聖職者)が討たれると敗北となる。
- 諸葛亮孔明(僧侶)遭到討死就會敗北。

ヒント:
提示:

- 三江城を攻め落とすには、正面からの突破しかない。
- 要攻落三江城,除了正面突破別無他法。
- 三江城を抜けたならば、一見、路が閉ざされているが、孔明にて活路を見出すことが出来る。
- 拔下三江城後,通路一看好像是關閉了,但孔明就可以發現一條活路出來。
- 木鹿王の軍を倒すには、猛獣を利用せよ。
- 要打敗木鹿王之軍,就得利用猛獸。
- 孔明が孟獲の陣へと辿り着く為には、味方を得る必要がある。ただし、孔明自身で探すことは不可能である。
- 為讓孔明抵著孟獲之陣,有必要獲得盟友的幫忙,但要靠孔明自身探索他們是絕對不可能的。

結果:

 孔明は、諸蛮族の上に立つ蛮王孟獲を、七度捕え、七度放ち、ついに心を捕えた。孟獲は心から孔明に承服し、今後蜀帝に対して、決して敵対せぬことを誓ったのである。かくして、孔明の南蛮平定は、ここに成された。

結果:

 この敗北により、天下第一の奇士を失った蜀は、常に南方からの脅威に曝される事となり、また、魏の進攻を防ぐ手立てもなく、蜀滅亡は時間の問題となった。
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:19:42 | 显示全部楼层
出師の表
出師表

歴史的背景:

 蜀の建興四年(魏の黄初七年)、魏において皇帝曹丕が病に臥し、そしてこの世を去った。在位七年、行年四十歳であった。曹丕の遺命により、嫡男である曹叡がその後を継いで皇帝の位に即いた。字を元仲というこの若い皇帝は、御年十五歳であった。そして驃騎大将軍となった司馬懿仲達が、自らすすんで蜀と国境を接する雍・涼州を守護する任に就いたという報が、曹丕死すの報と共に、ただちに間者によって蜀へ齎されたのである。

 この報が仲達の目論みを顕していると考えた孔明と馬謖の二人は、戦わずして司馬懿仲達を追い払うべく策をめぐらせた。蜀軍が、南征においての疲労が癒えてはいない今、これが最良の策謀であった。司馬懿が謀反の気配ありとの噂付を広めるこの策は、見事功を奏し、結果、司馬懿は官職を剥がれ、郷里に追われる事となったのである。

 蜀が魏を討つにあたって、最も障害となる人物が仲達であり、その仲達が官職を持たない今、孔明は魏を討ち滅すことを実行に移すときであると決断した。

出師の表 建興五年(西暦227年) 難易度:★★★ 所要時間:25分以上 

シナリオの説明:

 雍・涼州を守護していた司馬懿仲達が、官職を剥がれ、郷里に追われたとの報が齎されるや、諸葛亮孔明の決意は成った。わが蜀の全力を挙げて魏を討つ―― それであった。

 丞相府の奥にある自宅の書屋に引き篭もった孔明は、几に向うと、幾許かの間、瞼を閉じて微動だにしなかった。そこは、穏やかな静寂があたりを包んでいた。突然、かっと眸を見開いた孔明は、神妙な面持で筆をとると、筆は、孔明の魂が乗り移ったかのごとく、軽やかに動き出した。それは、蜀帝に向け、自らの意思と心情をつぶさに述べんとした、「出師の表」であった。

 翌日、孔明はこの出師の表を、蜀帝劉禅に奉呈した。これを一読した劉禅は、今魏を討つことに一抹の不安を覚えたが、孔明の固い意志を汲み、天子をして北征の号令を下したのである。

 建興五年春三月丙寅の佳日、成都から出でたのは、静かなる闘志を胸に秘めた、蜀軍三十余万の姿であった。春の和かな陽射しが、磨き上げられた鎧に照り返され、辺りは光に満ち溢れていた。また、春の心地よい風が、蜀軍旗の脇を撫でるように擦り抜け、旗は意志を持ったかのごとく、揚々とはためいた。そしてそれらの物すべてが、孔明の澄んだ眸に映されたとき、誰もがその横顔に、自らの生死を賭けた戦いに臨む、軍師の決意を感じた。

目的:

- 南安城・安定城・冀城そして天水城の、4つの城の政治機関を我が物とせよ。(転向)
- 將南安城、安定城、冀城以及天水城的四城的政府中心收為我物(感化)。
- 南安城に在る魏の総大将、夏侯楙を生け捕れ。(転向)
- 將在南安城的魏國總大將夏侯楙生擒(感化)。
- 冀城に在る姜維を説き、蜀へと迎え入れよ。(転向)
- 說服在冀城的姜維,迎接他入蜀國(感化)。
- 上記の目的を達成し、孔明(聖職者)が姜維と共に、南安城の政治機関へと帰還すれば勝利となる。
- 達成上述目的之後,讓孔明(僧侶)與姜維共同歸還到南安城的政府中心就會勝利。
- 諸葛亮孔明が討たれれば敗北となる。
- 諸葛亮孔明遭到討死就會敗北。

ヒント:
提示:

- 安定城太守、崔諒を利用せよ。
- 要好好利用安定城太守崔諒。
- 政治機関を転向させるには、ある建物を探さなければならない。
- 要將政府中心感化,不得不先探索到某棟建築物。

結果:

 たったの一度も合戦の経験のない夏侯楙では、孔明の敵となり得る筈もなかった。天水・南安・安定の三郡を攻め取り、蜀軍の士気はさらに高いものとなった。

 姜維伯約―― 美しい顔立ちをしたこの若者は、幼少の頃から既に俊才ぶりを発揮し、今に至るまでの間、その知能を世間に知らしめていた。
 この合戦においての最大の戦果は、姜維伯約を麾下に加えたことであった。孔明は軍略兵法のすべてを授け、我が跡を引き継ぐべき軍師となる人物を捜し求めていたが、今ここに、その者を見出したのである。姜維を得ることは、鳳凰を得ることに似た。

 その後蜀軍は陣容を整え、祁山目指して進撃していった。

結果:

 姜維伯約―― この人物が敵にいたことが、孔明唯一の誤算であった。その智謀の前に蜀軍は敗れ、長安を落とし洛陽へ攻め入ることは夢となった。
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西羌来襲 長髯公天下る
西羌來襲 長髯公降臨

歴史的背景:

 魏の太和元年、魏帝曹叡のもとに、天水・南安・安定の三郡を諸葛亮孔明に奪い取られ、蜀軍は既に祁山へ進出したという報が齎されると、曹操の甥にあたる曹真子丹を大都督とする二十余万の軍勢が、これを迎え討たんと祁山へ進発していった。しかし―― 曹真は、夏侯楙ほどの愚昧な策略を採る将ではなかったが、如何せん、その相対する敵が孔明となっては、これを敗北せしめる器量はなく、初戦は手痛い打撃を被る結果となった。

 孔明の智略の前に大敗を喫し、軍勢を立て直す事を強いられた曹真は、副都督郭淮の進言により、かねてより帰服している西羌に、援軍の要請をするべく密使を差し向けた。西羌は、太祖曹操、文皇帝曹丕の時代より、魏に多大な恩顧をほどこされており、国王である徹里吉は、その大魏に背くことを不利とし、出撃の決意をしたのである。

西羌来襲 長髯公天下る  建興五年(西暦227年) 難易度:★★ 所要時間:5分以上 

シナリオの説明:

 西羌の国王徹里吉は、魏に加勢するべく、丞相雅丹・元帥越吉らに蜀軍への攻撃を命じた――

 西羌の軍が魏に呼応したという報に接した蜀の丞相諸葛亮孔明は、羌族をよく知る馬岱を先鋒とし、関興・張苞をその両翼につけ、討って出させた。これに対する羌族は、調練された鉄車兵と呼ばれる精鋭を、厚い鉄板で覆った戦車に乗せ、己が力を誇示するがごとく蜀軍を迎え撃ち、雪の降り頻る西平関にて、両軍は対峙する事となった。

 それから間もなくして、壮絶な戦いが繰り広げられる事となったが、羌兵の強さは、端倪すべからざるものがあり、蜀軍は瞬く間に羌兵の猛威に呑まれ、壊滅の危機に晒される事となった。この時、未だ戦ったことのない鉄車兵に翻弄され、苦戦する蜀軍の中にあって、関興ただ一人は、亡父関羽雲長を彷彿させる戦い振りを見せ、果敢にも敵軍に斬り込んだのである。

 しかし乍ら、濛々と迫り来る圧倒的な数の羌兵に、若武者関興も遂には追い込まれ、窮地に陥る事となった。そして己が命運はこれまでかとほぞを噛んだ刹那、対岸に突如として、魔人の如く敵を薙ぎ払う一人の武人の影が現れた。砂塵巻き上がる中、関興の瞳に映るその影は、真紅の馬に打ち跨り、長髯を靡かせ、青竜偃月刀を自在に振るう、他界した筈の関羽雲長の姿であった。

 亡き父の霊に救われた関興は、懐かしきその姿に瞳を濡らしながら、孔明の待つ自陣を目指して只管に疾駆した。

目的:

- 羌族を全て倒し、渓谷に遁走した越吉を討て。
- 擊倒全部羌族,討滅遁走到溪谷的越吉。
- 関興、孔明のいずれかが討たれると敗北となる。
- 關與(亞歷山大)、孔明(盲跛僧侶)的其中一人遭到討死就會敗北。
- 馬岱の軍が全滅しても敗北となる。
- 馬岱的軍隊遭到全滅就會敗北。

ヒント:
提示:

- 孔明が待つ地点まで移動し、鉄車兵を迎え撃て。
- 向孔明等待的地點移動,並迎擊鐵車兵。
- 越吉の在る渓谷に向かうのを急いではならない。
- 別急於趕向越吉所在的溪谷。
- このシナリオは敵が攻撃的であればあるほど、こちらの策略にはまりやすい。難易度を「非常に難しい」で戦うと、事が迅速に進みやすい。
- 本劇本的敵人將積極地攻擊,因此很容易落入我方的策略之中。當用「最難」難易度作戰時,戰事進展會很迅速。


結果:

 羌族は、膂力こそ充分であったが、智略においては諸葛亮孔明の敵ではなかった。その巧妙な策によって、元帥越吉は関興に討たれ、丞相である雅丹は馬岱の軍に捕らえられた。しかし孔明は、我が蜀は西羌に対してなんら敵対するものではないとし、面前に縛り上げられて来た雅丹の縄を解き、更には鉄車を全て修復し、羌族の元へと返したのである。この寛大な行為に羌族は心より服し、二度と蜀への侵略を企てぬと固く誓い、兵を退いた。

 羌族の敗北により、またしても孔明を退けることすら叶わなかった魏の曹真は、その後も孔明の退却を装った策略に翻弄され、ついに万策尽き果てる事となった。そして自らの器量の無さを痛感し、落胆の色を隠せないまま、総退却の道を選ばざるを得なくなったのである。

結果:

 関興の若さ故の行動によって大敗した蜀軍は、魏に立ち向かう力すら薄れたのであった。
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街亭の戦い
街亭之戰

歴史的背景:

 祁山に進出した蜀軍を討つべく進発した曹真が、夏侯楙に続きまたしても敗れ去ったという報が齎された魏は騒然となっていた。曹真が敗れたとあっては、孔明と互角に戦える将が、もはや魏には存在しなかったのである。そこで曹叡は一人の人物に白羽の矢を立てた。そう、官職を剥がれ、郷里に追わていた司馬懿仲達である。

 原官に復し、平西都督に就いた仲達は、秦嶺の西にある街亭、更には街亭にほど近い列柳城へと中軍を進めた。街亭・列柳城は漢中の喉元にあたり、両軍にとって、是が比にも占拠し守らねばならない要害であった。

街亭の戦い  建興六年(西暦228年) 難易度:★★★ 所要時間:4分以上 

シナリオの説明:

 街亭―― その地の名を知る者は皆無であると言えた。だが、諸葛亮孔明、司馬懿仲達の両雄は、この要害を占拠せんと、各々策をめぐらせた。

 街亭を抑えるべく軍勢を押し進めていた仲達であったが、その地を偵察した司馬昭の報告に愕然となった。我が軍よりも先に、蜀の軍勢が街亭に到達していたのである。孔明の先見の明に落胆した仲達であったが、司馬昭の面持には、笑みが零れていた。蜀の先鋒隊を受持った馬謖が、愚かにも街道を死守せず、山頂に陣を構えていたのである。

 孔明の命に背き、街亭から離れた山頂に、自信をもって布陣した馬謖であったが、そこは水の確保に難があり、梺の川で補給するしかなかった。これを逃さない仲達ではなく、申耽・申儀に命じ、水を断つべく山を包囲した。

 時が経つにつれ、窮地に陥っていった馬謖の軍勢は、やむなく決死隊を組み、水を求めて梺へ駆け下りたが、魏の軍勢に包囲された今となっては、意に叶う筈もなく、遂には一人も戻っては来なかった。さらには、この現状を愁いだ多くの兵が、魏に投降する有様であった。

 もはや馬謖にとっては、残った兵と共に、血路を開き落ち延びるしかなかった。水に枯渇し、その体力を失った兵らは、死地に向うと合点しながらも、坂路を駆け下りていったのである。

目的:

- 馬謖(英雄)は、陽平関の政治機関まで逃げなければならない。
- 馬謖(亞歷山大)不得不逃到陽平關的政府中心去。
- 馬謖が討たれると敗北となる。
- 馬謖遭到討死就會敗北。

ヒント:
提示:

- 申耽・申儀が守護する陣は鉄壁の護りであるが、幾度となく挑戦し続ければ、隙ができる時が必ず来る。諦めてはならない。
- 申耽、申儀守護的陣地有鐵壁般的防護,持續幾度挑戰,出現破綻的時機必定會來臨,千萬不要放棄。
- 陣を突破したならば、戦いは極力避け、ひたすら逃げよ。敵との戦いは、魏延・王平・高翔率いる援軍に任せればよい。
- 突破陣地以後,極力避開作戰,祇管逃跑。與敵人的戰鬥,就托任給魏延、王平、高翔所率領的援軍。

結果:

 馬謖は、兵の大半を失いながらも援軍に助けられ、辛くも逃げ延びることが出来たが、孔明が綿密な思案をもって練り上げた、魏軍殲滅の策略も、馬謖の山頂に布陣するという失態によって、かくも脆く崩れ去り、多大なる損失を伴なう事態となった。戦いに敗れ、街亭を奪われたのみならず、天水・南安・安定三郡をも明渡す結果となったのである。そして蜀軍は、漢中へと総退却を余儀なくされた。

 その後漢中の本営では、孔明を上座に、文武百官らが神妙な面持で居並んでいた。その視線を一手に集め、孔明の面前に顔色を失いながらひれ伏していたのは、他でもない、馬謖幼常であった。孔明は馬謖の罪を、冷酷に裁かねばならなかった。俊邁の首を刎ねることは、自国の損失となるばかりか、敵を喜ばせる結果となり得たが、孔明は軍規を保ち、将兵の士気を萎えさせぬ事こそが肝要であるとし、建興六年夏五月、その時三十九歳であった馬謖を斬ったのである。

 馬謖の首を観てとった孔明は、鋭さを消したその双眸に、溢れんばかりの泪を浮かばせていた。傍らにあった蒋エンは、孔明自ら断罪したにも拘わらず、何故に嘆くのか腑に落ちなかったが、孔明は、馬謖への惜しみがそうさせたのではなく、馬謖を用いた我が不明を羞恥したものであるとした。しかし――

 泣いて馬謖を斬る―― この時に孔明が流した泪は、馬謖への寵愛から来るものであった事は、想像するに難くない。

結果:

 馬謖の愚策により、列柳城のみならず陽平関までも奪われた蜀軍は全滅に陥ったのであった。
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:20:05 | 显示全部楼层

斜谷道の戦い  智将憤死
斜谷道之戰 智將憤死

歴史的背景:

 街亭にて勝利を収め、一時の安堵感に包まれていた魏に、揚州都督曹休よりの急使が到着した。呉のハ陽太守周魴が、呉を破る七ヶ条を申し述べて魏への降服を申し出た由、揚州へと進軍して欲しいとの内容であった。呉を滅するには又と無い好機であったが、周魴の降服が偽りである事も否定できず、警戒の念を持ちながら、司馬懿仲達の軍勢は揚州へと向った。

 周魴の降服を信じて疑わない曹休は、我が功名を一手にすべく、仲達の援軍が到着する以前に戦いを開始したが、散々に敗れた挙句、敗走する結果となってしまった。仲達率いる軍勢においても、曹休の敗走をうけ、呉との決戦をせず、蜀の侵攻に備えるべく、洛陽へと引き返したのである。周魴の降服はやはり偽りであり、蜀呉同盟に対しての義理を果たすものであった。そして曹休は、敗走中に受けた傷が元となり、洛陽へ帰還してまもなく息を引取る事となった。

 その頃、漢中に在った諸葛亮孔明は、再び北伐の機会を伺うべく、兵馬の鍛錬に余念が無かった。そこへ魏の敗北の報が齎されたのである。蜀の国内は、街亭の雪辱を今晴らさんとする気運が一気に高まった。ただ―― 

 孔明の心中を、奈落の底へと突き落とすに値する、衝撃な出来事が起こった。先帝劉備玄徳に仕えて以来、数々の武勇を刻み続けてきた趙雲子竜が、病に臥し、世を去ったのである。蜀五虎将が今、ついに誰一人残らず消え去った。劉備玄徳の遺志を継ぎ、それを果たさんと立ちあがった者は、諸葛亮孔明ただ一人となったのである。魏を討ち滅し、漢朝を復興する―― 孔明の闘志は、さらに烈しく燃え滾った。

斜谷道の戦い  智将憤死  建興六年(西暦228年) 難易度:★★ 所要時間: 3分以上 

シナリオの説明:

 諸葛亮孔明は、蜀帝劉禅に対し、上奏文をしたためた。それは、再び魏を滅さんとするものであった。後年、「後出師の表」と称される上奏文である。孔明の決意を汲んだ劉禅は、即座に北伐の号令を発した。

 蜀軍三十余万がまず目指したのは陳倉であったが、司馬懿仲達は既にこれを予見しており、陳倉には強固な城が築かれていた。それは、孔明の智略を持ってしても、容易には落とす事が出来ず、彼にしては珍しく、不安と焦りを覚えさせるものであった。その時、その孔明の心中を晴らすに値する言葉を発した者がいた。誰あろう、俊才姜維伯約である。その言葉とは、「離」であった。

 孔明は姜維の進言を容れ、間道をまわり、斜谷から祁山を攻める策に出た。先鋒に馬岱、関興・張苞を後詰として付け、姜維にこの戦いのすべてを任せたのである。これに相対するは、曹真率いる軍勢であった。街亭の戦いにおいて、仲達に大きな手柄を奪われた曹真の意気込みは、ただならぬものがあった。

 そんな折、姜維は曹真に向け、魏に呼応するという偽りの密書を送り、曹真を生捉ろうと計ったのである。曹真は密書を信じ、進撃を布告したが、これを姜維の計と疑う者がいた。智将費耀である。しかし費耀は、曹真の命令に従わざるを得ず、用心を持って自ら先陣を買って出た。そして費耀の軍勢が斜谷に差しかかったその時―― 高台にてこれを見下ろしていた孔明が、右手に在った白羽扇を翻したのである。

目的:

- 費耀の軍勢(赤)をすべて倒し、費耀(英雄)の首級をあげよ。
- 將費耀的軍勢全部擊倒,並取下費耀(赫克特)的首級。
- 姜維(英雄)が討たれると敗北となる。
- 姜維(亞歷山大)遭到討死就會敗北。

ヒント:
提示:

- 鬨の声があがると同時に、関興、張苞のもとへ駆けつけよ。
- 在發出鬨聲開戰的同時,就要驅馳前往關興、張芭所在之處。

結果:

 費耀の軍勢は、関興、張苞の挟撃に遭い、そこへ無数の屍を晒すこととなった。そして費耀自身は、僅かな魏兵と共に峡谷へと遁れたが、待ち受けていた岩と火に為す術もなく、憤死に至ったのである。

 その後も曹真は、孔明を捕らえるべく策を用い、戦いを挑んだが、孔明の先見の明に手も足も出ず、悪戯に兵を失うばかりであった。そして自らの自信を喪失した曹真は、護りを固め、二度と打って出ようとはしなかった。

 陣に引き篭もってしまった曹真を観て取った孔明は、ある一つの決断を下した。それは漢中へと引き返すことであった。短期決戦が望めぬ今となっては、兵粮が相応ではなくなっていたのである。勝って去る―― これも兵法の極意といえた。

結果:

 孔明の後継者となるべき智将を失った蜀は、滅びゆくのを待つしかなかった。
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:20:13 | 显示全部楼层

神算 陳倉落城
神算 陳倉落城

歴史的背景:

 蜀と魏が、興亡を賭けた戦いを繰り広げ、国力を互いに消耗し合う事を、大いに歓迎し北叟笑む者が在った。それは即ち、建業においてこれを傍観していた呉王孫権仲謀である。そんな折、麾下の張昭が孫権に対し、この期に皇帝の位に即く事を進言した。魏では既に曹叡が帝位に即いており、蜀においてもまた、後主劉禅が劉備玄徳の跡を継ぎ、大蜀皇帝を宣しているのであった。そして孫権はこの進言を容れ、呉の黄武八年(蜀の建興七年)四月丙寅、元号を黄竜元年とし、ついに皇帝となった。

 皇帝となった孫権が、まず対外的に行ったのは、皇帝の位を承認させ、同盟を確固たるものとすべく、西川へと使者を送ることであった。これに接した劉禅は、思案を漢中に在った諸葛亮孔明に求めたが、孔明は、呉が魏討伐の軍を起こす時こそ、長安を攻む時期到来であるとし、蜀皇帝をして、孫権の即位を認めるに至った。

神算 陳倉落城 建興七年(西暦229年) 難易度:★★★★★ 所要時間:13分以上 

シナリオの説明:

 呉の孫権が皇帝たることを宣し、そしてこれを認めた諸葛亮孔明であったが、呉に陸遜という稀代の軍師がいる限り、魏に攻め入るには慎重をもって、これにあたらねばならなかった。

 みたび進撃を模索していた孔明は、陳倉の状況が肝要であるとし、間者を用いてこれを探らせていたが、蜀にとってこの上ない好機となっていた。陳倉を守護している智将カク昭が、重い病に臥していたのである。孔明は即座に姜維と魏延を呼び寄せ、それぞれ五千騎を与え、陳倉攻略を命じた。

 「蜀軍攻め寄す」の報に接したカク昭は、攻め寄せた軍勢が、僅かな兵であると訊き、これに安堵した。たとえ自らが病床に在ろうとも、この程度の兵力であれば、充分に退けられると踏んだのである。そして蜀軍が到達するであろう、三日後のその日に備えるべく、手筈を整えはじめた。

 だが―― 進撃していった姜維・魏延の両将を見届けた後、孔明は関興・張苞に秘策を授け、間者を僅か二日の間に、陳倉城内へと侵入させていたのである。病を患ったカク昭には、もはやこの策を看破する眼力は失せていた。

目的:

- 陳倉城に潜り込ませた間者(町の人)にて見張り台を建造し、陳倉城(赤)を全滅させよ。ただし、政治機関においては、我が物としなければならない(転向)。
- 讓潛達陳倉城的間諜(村民)建造警戒哨,把陳倉城全滅。不過,政府中心又不得不成為我方之物(感化)。
- 敵の将、カク昭(英雄)を討て。
- 討殺敵將郝昭(伊阿宋)。
- 間者全員、または、諸葛亮孔明(聖職者)が討たれると敗北となる。
- 間諜全員或諸葛亮孔明(僧侶)遭到討死就會敗北。

ヒント:
提示:

- 資源は限られている。見張り台を建造する位置を熟慮せよ。
- 資源十分有限,對建造警戒哨的位置要深思熟慮。
- 見張り台を建造する際、木を伐採して場所を確保しなければならない個所が存在する。
- 在建造警戒哨之際,存在著一些不得不先伐採木材才能確保建造場所的地方。
- 孔明を城内へ侵入させるには、壁を見張り台にて破壊する必要がある。
- 要讓孔明侵入城內,有必要用警戒哨將牆壁破壞。
- 間者の仕事は見張り台の建造だけではない。見張り台を建造し、外交姿勢を変更したならば、次なる仕事に取り掛かれ。
- 間諜任務不限於建造警戒哨。建造好警戒哨和變更外交姿勢後,就要著手開始下個任務。
- 行動は迅速にせよ。手間取ると、敗北の可能性が高くなる。
- 迅速行動。耽誤越多時間,敗北的可能性越高。

結果:

 カク昭は、正面から攻め寄すであろう、姜維・魏延の軍勢に、そのすべての目を向けていた。敵が到達する前に、よもや間者が潜入していようとは思わなかったのである。かくして、陳倉城内の各所からは、一斉に火の手が上がり、城兵は延焼を食い止める暇もなく、ただ逃げ惑うばかりとなった。これに血潮を全身に漲らせたカク昭は、病に蝕まれた体を鞭打ちながら立ち上がり、果敢に楼上へと這い上がったが、無念にもその場で吐血し、その息を終える事となった。

 姜維・魏延が、陳倉へと辿りついた頃には、城の有りとあらゆる所に、蜀軍の旌旗が棚引いていた。そして孔明が楼上へと姿を現すや、この神算と言うべき妙計に、両将は呆気にとられる他なかった。さらに孔明は、未だ信じ難い表情を見せる両将に対し、矢継ぎ早に散関を落とすことを命じ、これもまた造作無く手中に収めるに至ったのである。

 この勝利に勢いを為した孔明率いる蜀軍は、斜谷を通り、建威を攻略した後、みたび祁山へと進発していった。

結果:

 カク昭重病の報をうけた郭淮が、張コウ率いる軍勢を陳倉へと赴かせていたために、孔明の秘策は水泡に帰する結果となった。陳倉を、またも落とせぬ不覚を取った孔明の北伐は、ここに終焉を迎える事となった。
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 楼主| 发表于 2015-5-31 01:20:25 | 显示全部楼层
後退策 興亡の決戦
後退策 與亡之決戰


歷史背景:

蜀軍奪下陳倉、散關,接著乘勢進出祁山,以上報告使得洛陽陷入一片騷然,就在此時吳國的陸遜也出現了不穩的舉動,這件事進一步加深了曹叡的不安。在整個魏國裡,能擋住這種窮地似的事態的人物除了司馬懿仲達外便再無其他人存在。大都督曹真已經在與孔明作戰時心勞成祟,以致罹患重病。





歴史的背景:




蜀軍奪下陳倉、散關並進出祁山的報告讓洛陽陷入了一片騷然,而在此時吳的陸遜也出現不穩的舉動,這事進一步加深曹叡的不安。整個魏國裡能擋住這種可謂窮地的事態的人物,除了司馬懿仲達外不得有其他的存在。

蜀軍が陳倉・散関を奪い、さらに祁山へ進出したという報に、洛陽は騒然となっていたが、この時、呉の陸遜も不穏な動きを見せており、曹叡の不安に拍車をかける事となった。魏において、この窮地とも言える事態に当たれる人物は、司馬懿仲達をおいて他に存在し得なかった。大都督であった曹真は、孔明と戦った心労が祟り、重い病を患っていたのである。

 焦りの色を隠せない曹叡に対し仲達は、呉の動きはあくまで同盟の義を示すものであり、魏に攻めこむ意志はないとした。そして全力をもって蜀を迎え撃つことを説いたのである。これに安堵した曹叡は、曹真に変わって軍を統べ、孔明を敗北せしめることを仲達に命じた。

 かくして、総兵の印を譲り受け、大都督となった仲達は、選りすぐられた十万の精鋭を率い、孔明と相対するべく祁山を目指した。蜀の建興七年初夏の出来事である。

後退策 興亡の決戦 建興七年(西暦229年) 難易度:★★★★ 所要時間:5分以上 

シナリオの説明:
劇本說明:

 世にその名を知らしめる、諸葛亮孔明、そして司馬懿仲達の両雄が、互いの持てる能力を存分に発揮し、真っ向から相対する時が初めて訪れた――

 祁山に在る蜀軍と対峙するべく、十万の精鋭を渭水の南に布陣させ、孔明の計略を推測した仲達は、迅速な指揮をもって軍勢を蜀軍に差し向けた。だが―― 孔明は仲達の一挙手一投足に至るまでを観通しており、結果、魏軍は散々に打ちのめされ、敗戦の憂き目に遭うこととなった。

 孔明の、神威にも値する兵法に接した仲達は、動かぬ事こそ最良の策であるとし、陣の護りを固め、一切打って出ようとはしなくなった。その後、幾許かの時が経ったある日、蜀軍が陣を三里余り後退させたという報が、仲達陣営へと齎された。魏の諸将らは、孔明が一旦引き揚げを開始した由、これを追撃すべきであると進言したが、仲達はそれでも尚、孔明の策に嵌ることを危惧し、動こうとはしなかったのである。

 その後も蜀軍は、陣を三里ずつ数回にわたって後退させた。これに、ただならぬ形相で仲達に歎願した者が在った。歴戦の将、張コウ儁艾である。張コウの決意に、仲達をして、ついに動かざるを得なくなり、三万の兵を率いた張コウが、解き放たれた鳥のごとく蜀軍目指して進発していった。そして仲達自身も、五千の兵を引き具してこれに続いた。

 魏の軍勢が追撃をはじめた事を知り、この機会をもって、魏軍との決戦をする臍を固めていた孔明は、呉班・呉懿・馬忠・張嶷の四将を敵正面に、王平・張翼を伏勢として戦地へ赴かせた。さらには関興を山間に潜ませ、姜維・廖化には秘策を授けて戦況を見守らせた。かくして―― 両軍、討死覚悟の壮絶な戦いが、今ここに繰り広げられようとしていた。

目的:

- 張コウ(赤)、戴陵(橙)および司馬懿(緑)の軍を全滅させよ。
- 全滅張郃、戴陵以及司馬懿的軍隊。
- 以下のいずれかが該当すると敗北となる。
  1.自軍の英雄(四騎)の全滅
  2.関興軍(黄)の全滅
  3.王平・張翼軍(茶)の全滅
- 符合了以下的其中一項就會敗北。
  1.自軍英雄四騎全滅
  2.關興軍全滅
  3.王平、張翼軍全滅

ヒント:
提示:

- 先ずは関興軍の在る場所まで敵を誘い込め。
- 先將敵人誘進關興軍的所在場所。
- 敵を包囲しながら攻撃せよ。
- 將敵人包圍作攻擊。
- 攻撃の主力は王平・張翼軍である。機を見てこれに加勢せよ。
- 攻擊的主力將王平、張翼軍,看準時機讓其加勢。

結果:

 往々として後退を繰り返す蜀軍めがけ、怒涛の勢いで迫る張コウ軍に、側面からは関興が、そして背後からは王平・張翼が襲いかかった。そこへ、一転して窮地に陥った張コウを救うべく、仲達の軍勢が王平・張翼の後方から現れ、そこは双方が我武者羅に戦う修羅場と化した。だが、魏軍は突如として形振り構わず退却を始めたのである。姜維・廖化の軍が、まっしぐらに魏本陣を目指している報が届いたためであった。仲達は、既の所で本陣を死守するに至ったが、統制が乱れ、次々と追い討たれた魏軍は、多大なる犠牲を払うこととなった。

 この、敵味方入り乱れての激戦は、あとに無数の屍を曝す地獄を描き出し、魏軍のみならず、蜀にとっても失うものは大きかった。そして蜀の陣営に、さらなる悲報が舞込む事となった。先の戦いで負傷していた張苞が、治療の甲斐なく息を引取ったのである。

 この孔明に衝撃を与える出来事は、孔明を病の床へと引き込むに充分であった。烈しく喀血した孔明の体は、南征、北伐と、過酷な戦いを繰り返し、骨身を削った結果、当然のごとく精気を失い、病魔が襲ってきていたのである。そして蜀軍は、これを気取られぬように戒めながら、陣を払い、漢中へと引き返した。

 この頃仲達にあっては、戦いの失態を戒めとし、さらに強固に陣を固める策を採っていたが、蜀軍が引き揚げた五日後になって、そのすべてを知る事となった。そして仲達もまた、洛陽へと引き返すことを決心した。かくして、蜀と魏と、孔明と仲達との雌雄を決する戦いは、時を改めるに至ったのである。

結果:

 魏軍を挟撃し、有利に事を進めていた蜀軍であったが、王平・張翼の背後に現れた、仲達率いる軍に為す術もなく、この決戦を敗北という形で終える事となった。多くの将を失い、多大なる犠牲を被った蜀軍は、魏を打ち滅すに困難な状況に陥った。

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